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きょう聖(ねこミミ)

きょう聖(ねこミミ)

山崎正友一派の大ウソ

2006年8月23日 22:32:05

『創価新報』(2006年6月21日付)

青年部座談会 14

極悪ペテン師 山崎正友 裁判で14回目の敗北
悪辣な人権侵害で公式謝罪 今月8日横浜地裁


「月刊ペン」事件の裁判でも
“大ウソつき”と断罪された山崎


山崎一派のデマ実例

1 脱会者『聖教グラフ』の写真を見て知っていた」
 当時『聖教グラフ』は発刊されていなかった

2 竜「部屋は存在した。そこで選挙の指揮をとった」
 当時、学会はまだ支援活動をしていなかった

3 原島「元国会議員を静岡県の大石寺で見た」
 議員はずっと国会にいた。記録も厳然とある

4 原島「ある晩、自宅に来た友人から話を聞いた」
 その日、原島は深夜まで山崎と六本木にいた

5 山崎「箱根の研修所に泊まった時、目撃した」
 その夜、山崎は東京の旅館で麻雀をしていた

竹内青年部長
佐藤男子部長
高木男子部書記長
原田男子部長学部長
森山学生部長


 高木 あの極悪ペテン師の山崎正友が先日、また裁判で負けたな。

 佐藤 山崎が広島県の学会員(故人)を中傷した、悪辣な人権侵害事件だ。
 学会員の遺族が損害賠償を求めて、山崎を提訴していた。

 竹内 裁判は6月8日、山崎の実質敗訴の和解で決着した(横浜地方裁判所)。
 山崎は(1)遺族に公式謝罪する(2)今後、同様の中傷を行わない(3)17万円を支払うことを約束した。

 森山 山崎の全面敗北だ。これで、山崎は裁判で「14件目の敗北」。まさに前代未聞だ。

 原田 仏法は厳しい。これが、学会を裏切り「破和合僧」の大罪を犯した男の哀れな末路だ。

 竹内 まったくだ。山崎のやつは、まだまだ裁判を抱え込んでいる。果てしない「断罪地獄」だ。

“逮捕のがれ”に血眼

 佐藤 裁判といえば、あの「月刊ペン」事件の裁判でも、山崎は醜態を晒した。法廷で片っ端から大ウソを見破られ、厳しく弾劾された。

 高木 今でも語り草だ。「月刊ペン」事件については先日、この座談会でも詳しく語り合った(4月19日、5月3日付)。

 竹内 「月刊ペン」という総会屋がらみの雑誌が昭和51年の3月号、4月号で、事実無根の作り話をデッチ上げた。学会と池田先生をデマで中傷した事件だ。

 原田 学会側は、記事を書いた編集長の隈部大蔵を名誉棄損罪で刑事告訴。隈部は逮捕され、25日間も勾留された。

 高木 最後は、隈部に「罰金20万円」の有罪判決で決着した。これは当時の名誉棄損罪で最高額の罰金刑だ。

 森山 それほど悪辣千万なデマ事件だった。
 何しろ隈部のやつは「前科4犯」で有名な“情報ゴロ”のガセネタを、丸写ししてデマを書き殴った。学会側には何一つ取材せずにウソ八百を書いたんだ。

 佐藤 当然、判決は隈部を厳しく断罪した。
 「うわさ程度のものを根拠にし、あるいは十分な根拠を持たないまま結論のみを先行」
 「情報源そのものが明らかでない上、その内容も明確とは言えない」
 「虚構であると考えざるを得ない」等々、一刀両断だった。

 高木 実は、学会側が全面勝訴した、このデマ事件でも、山崎は途中から首を突っ込んで大失敗した。

 竹内 ちょうど山崎が悪辣な恐喝容疑で逮捕された(昭和56年1月24日)直前だったな。
 絶対絶命の山崎は血眼になって、あっちこっちにデマを書き殴り、学会のイメージを悪くしようと企んだ。

 原田 それで山崎は、もともと関係のない「月刊ペン」の裁判にも、しゃしゃり出てきた。
 最高裁宛に“ペンの記事は事実だ”などというデタラメな上申書を出した。

 竹内 このは悪党め! だいたい「月刊ペン」のデマ記事が出た当初、山崎本人が何と言っていたか。
 山崎が昭和51年3月、学会首脳に充てた「意見書」が厳然と残っている。

 原田 山崎のやつ、こう明確に書いていた。
 「今回の記事内容は非常に悪質であり、放置しておくと、今後よくない」「基本的には、名誉、信用毀損罪で告訴するとともに、謝罪広告、損害賠償を求める民事訴訟をおこす方針でのぞみたい」と断言していた。

 森山 ところが、自分が逮捕されそうになった途端、その“悪質なデマ記事”を持ち出してまったく正反対のことを言い出した。往生際の悪いやつだ。

「証人集め」も山崎

 佐藤 「月刊ペン」の裁判は当初、隈部側は、証人など誰一人、まともに出せなかった。
 ところが山崎が、しゃしゃり出てきた途端、怪しい“デマ証人”がゾロゾロ出てきた。

 竹内 山崎が掻き集めてきた連中だ。ほかならぬ山崎本人が“オレがやった”と白状している。

 原田 その通りだ。あいつは数年前に書いた本で、わざわざ「証人集めの作業」と一節までつくって、詳細に書いていた。

 森山 自分が仕掛けた謀略を、黙っていられない。自分で全部バラしてしまう。ホントにバカなやつだ(笑い)。

 佐藤 いや、山崎が言わなくっても、最初からバレバレだ。
 何しろ法廷に出てきたのは、山崎の「一の子分」の原島やら、山崎と密接な関係にあった脱会者や退転者ばかりだった。

 高木 バカバカしい。
 有名な格言に「一つのウソをつき通すには、やがて20のウソが必要になる」とある。
 まさにその通り、山崎の一派はウソにウソを塗り重ねるしかなかったんだ

 竹内 当然、山崎らのデマは、一つも残らず破綻し、断罪された。判決は厳しく糾弾している。
 「どれも客観的な裏付けが不十分」
 「いずれも真実証明がない」
 「確実な裏付けを欠いているだけでなく、内容上も疑問がある」
 「供述通りに信用することはできない」
 「証言を額面通りに受け取ることはできない」
 「信用性を認めることなど余に危険であり、到底できるものではない」等々、20カ所以上も“ウソだ”と断罪している。

 佐藤 山崎が仕立てた“証人”は、どいつもこいつも法廷でウソがばれて、失態、醜態を晒しぬいた。
 たとえば、飯野某なる脱会者。
 “昭和29年の秋に、ある学会員の3畳間で名誉会長を見た”“自分の家には「大白蓮華」「聖教グラフ」に載った名誉会長の大きな写真を飾っていた。だから顔を知っていた”などと言い張った。

 森山 ところが当時は、戸田先生が会長の時代だ。「大白蓮華」に名誉会長の写真が大きく載った事実などない。
 「聖教グラフ」にいたっては、昭和34年の創刊だ。当時は発刊すらされていなかった。

 原田 その通りだ。載ってもいない写真を、どうやって飾ったんだ?(笑い) バカバカしい!

 高木 このデマに関しては、退転者の竜年光も週刊誌で蒸し返していた。
 山崎が書いた記事に、わざわざコメントを出して「当時、3畳間はたしかにあった。私はそこで、選挙の指揮をとった。写真の載っている」「週刊文春」平成8年9月5日号)などと言い出した。

 竹内 大ウソつきめ!
 “何が昭和29年秋に選挙の指揮をとった”だ。学会が選挙支援をはじめたのは、昭和30年4月の地方選挙からだ。
 選挙もないのに、どうやって指揮をとったんだ?(笑い)

 佐藤 まったくだ。写真があるんなら、出してみろ(笑い)。

法廷で立ち往生

 森山 それに山崎の子分の原島! あいつもノコノコと法廷に出てきた。

 原田 原島か。聖教新聞社の資料を盗んで、山崎から1000万円を恵んでもらっていた。正真正銘のクズだよ。

 高木 その原島が、何を“証言”したか。
 “昭和47年7月、国会の会期中に、名誉会長が渡辺通子衆院議員(当時)を大石寺に呼んだ。それを見た”などと抜け抜けと言い放った。

 竹内 当然、真っ赤なウソだ。
 まず「昭和47年7月」にあった国会は、7月6日から12日までの「第69臨時国会」だけだ。その7日間、渡辺議員は一日も休まず国会に出ていた。議事録や写真も全部残っている。

 佐藤 それに名誉会長は、この期間、大石寺には一度も行かれていない。これも当時の聖教新聞等で明確だ。

 森山 ちょっと調べてみれば、分かることだ。
 7月6日は、創価学会(東京・八王子市)の第1回滝山祭に出席。7、8日は、東京・信濃町で行われた副教学部長会で講義されている。

 原田 しかも、この副教学部長会には、大ウソをついた原島本人も出席している。
 当時の「聖教新聞」に、あいつの顔と名前がはっきり出ている。

 高木 まったく、バカなやつだ。お前自身が、名誉会長が大石寺にいなかったの知っている「一番の証人」じゃないか(大笑い)。

 竹内 さらに名誉会長は、翌9日から16日までは東北指導に行かれている。
 どうやって静岡の大石寺に行けるというんだ?
 この大ウソつきが!

 佐藤 原島のウソは、まだまだある。
 あいつは法廷で、“昭和47年11月1日の夜、ある人から名誉会長に関する話を聞いた。私は翌日、ショックで倒れてしまった”などと証言した。
 これまた、口から出まかせの大ウソだ。

 森山 確かに、当時の聖教新聞新聞を見ると、翌2日、原島は会合で登壇する予定だったが、朝、突然“気分が悪い”と言いだして、ほかの幹部が代役を務めた。

 原田 ところが、だ。それが本当の理由は、ただの「二日酔い」だった(笑い)。
 実は、酒乱の原島は前日の夜、山崎と六本木の店で朝まで飲んだくれていた。それで“倒れた”だけだ。

 高木 裁判ではその店の「領収書」が出てきて、動かぬ証拠になった。原島のウソは、もののみごとにバレた。

 竹内 とにかく不様この上ない、大失態だった。
 原島のやつ、ほかのデマ証言でも、法廷で検察側から「根拠は」「記録があるのか」「いつのことか」と鋭く質問され、絶句。あぶら汗を流して立ち往生だった(笑い)。

動かぬ証拠に絶句

 佐藤 一事が万事だ。山崎が裁判所に送り込んだ連中は、どいつもこいつも、すぐに「大ウソ」「作り話」が全部バレた。
 そこで、とうとう山崎本人が裁判に出て、偽証する羽目になった。

 竹内 ところが、いちばん醜態を晒したのが、ほかなら山崎だった。
 あいつの証言は、こうだ。
 “昭和45年4月下旬ごろ、箱根研修道場に泊まった際、原島と一緒に目撃した”などと、わざと日時を曖昧にして大ウソを並べた。

 原田 山崎のいつもの手口だ。日常を特定すると、一発でウソがばれる。だから、ごまかすんだ。

 森山 ところが裁判では、検察官から昭和45年当時の山崎自身の手帳を突きつけられて、あっさり見破られた。
 手帳には「4月19日」の欄に、山崎本人の文字で「ハコネ」と書かれていた。これで日時が特定されてしまった(笑い)。

 高木 焦った山崎は「4月19日は箱根研修道場に泊まった」などと、その場しのぎのウソをついた。
 ところが、その日の夜、山崎は箱根にいなかった。東京にいた。

 竹内 またもや決定的な証拠が出てきた。山崎の事務所に保管されていた、当時の「領収書の綴り」だ。

 佐藤 そこには、その夜、山崎がマージャンをやった東京・神田の「花汀」という旅館の請求書があった。日付は、はっきりと「4月19日」と書かれていた。

 原田 そのうえ、その日に山崎がマイクロバスで箱根から東京に帰った時の高速道路の領収書まで出てきた。
 結局、山崎は4月19日、日帰りで東京に帰って、徹夜でマージャンを打っていたことがバレたんだ。

 竹内 次々と「動かぬ証拠」が出てきた。山崎のやつ、相当ショックだったようだ。
 法廷にいた弁護士の証言している。
 「この瞬間、山崎は文字通り目を白黒させて、しばし絶句した」(爆笑)。

 森山 結局、山崎一派は、この「月刊ペン」裁判の判決で「信用できない」と、20数カ所も断罪された。

 高木 自分の「恐喝事件」の裁判を有利にするどころか、逆に裁判所から「山崎はウソつきだ」と公式に認定されてしまったわけだ(大笑い)。

 竹内 ホントにバカな男だ。わざわざ恥を晒しに出てきたようなものだ。

 佐藤 「月刊ペン」のデマが、どれほど事実無根の作り話だったか。愚劣千万な謀略だったか。
 逆に、いかに先生が高潔で偉大か。学会は正しかったか。この裁判は、あますところなく証明した。

 原田 その後、山崎は、ご存知のとおり敗残の末路だ。血眼になって逃げ回っていた恐喝事件の裁判では平成3年1月、最高裁で「懲役3年」の実刑が確定した。

 高木 山崎のやつ、刑務所から出た後は、ますます無残だ。
 自分が犯した下劣、愚劣な「不倫事件」「デマ事件」「名誉棄損事件」で続々と訴えられ、今じゃあ、裁判で14回の敗北だ。

 竹内 「月刊ペン」のデマ事件から、ちょうど30年。「正邪」は、満天下に歴然だ。



『創価新報』(2006年7月5日付)

青年部座談会 15

裁判で14回敗北の山崎正友
「恐喝事件」でも逮捕に怯えてデマを乱発
山崎のデマを掲載した週刊誌が「遺憾の意」


元祖デマ雑誌「月刊ペン」事件の顛末
1 裁判で最高額の罰金刑
2 編集張本人が「詫び状」
3 騒いだ政治家も陳謝
4 デマを蒸し返した雑誌の編集幹部も謝罪


竹内青年部長
佐藤男子部長
高木男子部書記長
原田男子部長学部長
森山学生部長


 佐藤 前回は、あの極悪ペテン師の山崎正友の話が出た。あいつは先日、裁判で14回目の敗北を喫した。

 森山 団体や企業でも14回もの裁判で敗北するなんて、滅多にない。それを山崎は一個人で断罪されている。まさしく前代未聞。正真正銘の大悪党だ。

“張子のトラ”

 高木 その山崎の記念すべき“断罪1号”は、有名な「恐喝事件」だ。
 そもそもの発端は、あいつが金に狂って堕落したことから始まる。

 原田 山崎は昭和50年ごろ、静岡県内の墓園建設に絡んで、地元業者と癒着。数億円ともいわれる裏金を手にした。当時、弁護士だった肩書を悪用して、金儲けに狂奔したんだ。

 竹内 山崎は大金を手にした前後から生活が乱れきっていった。金に狂い、遊びに狂い、女性に狂ったんだ、あいつは。

 森山 調子に乗った山崎は昭和51年、冷凍食品会社の経営に手を出した。
 だが、欲にくらんだ素人商売が、うまくいくわけがない。アッという間に、40数億円もの借金を抱えて「火ダルマ」になった。

 佐藤 山崎は当時、学会と宗門の間に立って、血眼でマッチポンプをやっていた。
 後になって全部バレた。

 原田 山崎のやつは、当時の日達法主に取り入り、反学会の感情を煽り立てた。
 さらに週刊誌にデマを書かせるわ。宗門中枢に自分が書いた怪文書を出すわ。謀略の限りを尽くした。

 竹内 山崎は「僧俗和合」を願う学会の赤誠に付け込んできた。最後は、自分の借金逃れのために、あろうことか大恩ある学会を恐喝してきた。
 “学会を攻撃させるぞ”と脅し、昭和55年4月、学会から3億円を恐喝。さらに5億円を要求したんだ。

 高木 学会は同年9月、山崎を恐喝と恐喝未遂で警視庁に告訴した。すると、告訴の動きに気づいた山崎は大慌て。さらに半狂乱になって週刊誌にデマを垂れ流した。

 原田 その通りだ。あいつは告訴された直後から、週刊誌に毎週デマ記事を載せ続けた。“覆面”で14回、実名で29回も大ウソを書き殴った。

 佐藤 バカバカしい。全部、自分の凶悪な恐喝事件を隠すのが狙いだ。
 あいつは逮捕され、刑務所にブチ込まれるのが恐くてしかたがなかった。逃げたい一心で、騒ぎ狂ったんだ。

 竹内 とにかくデマ、デマ、デマ。山崎のやつ、デマ記事に“最高幹部7人の内部告発”などとタイトルをつけていた。
 だが実際は、山崎と子分の原島だけ。7人なんて20数年たった今も出てこない。

 高木 タイトル自体からして、ウソ八百じゃないか(笑い)。

 原田 山崎は、かつて“オレは張子のトラだ。本当は金も力もない。だから、どう大きく見せるかが大事なんだ”などと白状していた(笑い)。
 正体は「小物」だから虚勢を張る。普通の人間じゃ考えもつかないような「大ウソ」をつく。そういうやつだ。

「懲役3年」の実刑

 森山 だが山崎の謀略は裁判で全部、見破られた。結局「懲役3年」の実刑判決で刑務所に送られた。

 佐藤 山崎がデマを垂れ流したのは、週刊誌だけじゃない。あいつは当時、進行中だった「月刊ペン」事件の裁判にも首を突っ込んできた。
 自ら“ニセ証人”まで掻き集め、ウソで裁判を撹乱し、学会に嫌がらせをしようとした。

 竹内 だが、ウソはいくら集めたってウソだ。厳正な法廷で通用するはずがない。
 結局、山崎一派のデマは、一から百まで全部、見破られた。判決でも“事実無根の大ウソだ”と20回以上も断罪された。
 詳しくは前回、この座談会でも語り合った通りだ。

 高木 山崎のやつ、「月刊ペン」事件に絡めて、週刊誌にもデマを乱発した。
 その一つが“専用施設”云々のデマだ。

 森山 “学会の全国の会館には、プールやトレーニング施設付きの豪華施設や、ホテルのような専用施設がある”などという、くだらないデマだな。
 「月刊ペン」のデマを、もっともらしく見せるために、山崎が書き殴った「作り話」だ。

 原田 バカバカしい。そんな施設が、いったいどこにあるんだ?(笑い)

 佐藤 あまりにも悪辣だったから、学会はこのデマを載せた週刊誌を直ちに告訴した。出版元の社長、編集長らを名誉棄損罪で警視庁に訴えた。

 竹内 その後、出版社側から“非を認めるから、告訴は取り下げてほしい”と申し入れがあり、学会側は受け入れた。
 実際、その週刊誌は、昭和58年6月16日号に「記事及びその広告文に一部不適切な表現がありましたことにつき遺憾の意を表します」と明確に掲載した。

 高木 山崎のデマを載せた週刊誌自体が、非を認めて「遺憾の意」を表明した。
 どれだけウソ八百のデマだったか、明々白々じゃないか。

自分に似せたデマ

 原田 まったくだ。「蟹は甲羅に似せて穴を掘る」と言う。山崎のデマには、あいつ自身の下劣な本性が、にじみ出ている。

 森山 たとえば山崎は一時、ホテルに事務所を構えていた。その一室は、なんと厚手の真っ赤なカーテンに、ド派手なダブルベッド。
 それこそ、いかがわしいホテル状態だった(笑い)。

 佐藤 あいつが「バカの一つ覚え」で書き殴ってきた、女性問題のデマもそうだ。
 山崎本人が下劣な不倫事件で訴えられて、最高裁で断罪(平成15年2月18日)。慰謝料300万円の支払いを命じられた。

 竹内 山崎のやつが、どれだけ間抜けだったか。あいつは平成5年に刑務所を仮出所した後、性懲りもなく「月刊ペン」のデマを蒸し返してきた。平成8年にも週刊誌にウソ八百の手記を書き散らして、大騒ぎした。

 高木 とっくの昔に裁判で断罪され尽くしたデマだよ。
 あまりバカバカしくって、皆「山崎のやつ、よっぽどネタがないんだな」って、ゲラゲラ笑っていたよ(笑い)。

 森山 山崎のデマを載せた週刊誌も、その後、出版元の元編集幹部が学会側に謝罪した。
 山崎の正体を知り、驚き、呆れ果て「取材もせずに(山崎の)原稿を載せたということは、よくないことは分かっています」「私個人としては、名誉会長および関係者のみなさまにお詫びします」と明確に陳謝した。

 佐藤 「月刊ペン」のデマを、国会で騒いだ政治家もいたな。

 原田 山梨県選出の国会議員だ。平成7年11月27日“3億円恐喝事件や月刊ペン事件など、創価学会による事件が、たいへん多い”などと、学会を中傷した。

 竹内 バカバカしい!
 何が創価学会による」だ。学会は「被害者」だ。恐喝事件でも、「月刊ペン」のデマ事件でも、被害を受けたのは学会だ!

 高木 その通りだ。ちょっと調べれば、簡単に分かることじゃないか。それを、国会議員ともあろう人間が確認もせずに発言する。だから日本の政治家は全然、信用されないんだ。

 原田 実は、この議員は平成13年の2月22日に、山梨文化会館を訪れて、学会に謝罪している。
 「学会にご迷惑をおかけしました。お詫びします」と明確に誤った。

 森山 当たり前だ。

 佐藤 「月刊ペン」のデマが、どれだけ事実無根の「作り話」だったか。満天下に明らかだ。
 まず1.裁判で厳しく断罪。デマを書いた編集長の隈部大蔵が当時の最高額の罰金刑に処された。

 竹内 2.書いた編集長本人が謝罪。隈部本人が学会と関係者に「詫び状」を書き、デマを明確に認めている。
 「記事中には、事実の確認に手落ちがあり、思い違いがありました」
 「行き過ぎのあったことに対しては、率直に遺憾の意を表明いたします」とハッキリ書いている。

 高木 3.当時「月刊ペン」のデマに絡んだ、山崎のデマを載せた週刊誌も「遺憾の意」を表明。
 4.後に、山崎のデマを蒸し返した週刊誌は、編集幹部が学会側に謝罪した。

 森山 さらに5.国会で騒いだ政治家も陳謝した。
 「正邪」は明々白々だ。

最後は廃刊、破産

 原田 その後、デマ雑誌の「月刊ペン」と隈部が、どういう末路をたどったか。
 「月刊ペン」は、学会中傷のデマ記事で悪名が知れ渡り、部数が激減。昭和60年7月号からは、書店に置くこともできない20ページ足らずの小冊子に転落した。

 佐藤 結局、翌年7月号で完全に廃刊。学会側が告訴したデマ記事(昭和51年3、4月号)を載せてから、ちょうど10年後に消滅した。

 竹内 出版元の月刊ペン社も昭和62年4月、約6億2300万円もの借金を抱えて破産した。

 高木 デマを書いた張本人の隈部も無残な末路だった。「月刊ペン」が凋落すると、隈部は東京の家を畳んで静岡県の田舎に引っ込んだ。結局、そのまま昭和62年2月、病気で死亡。弔問人もほとんどない侘びしい葬儀だった。

 森山 そして極悪ペテン師の山崎正友! 裁判で14件も大敗北。「これでもか」というほど、醜態を晒し抜いている。

 佐藤 いや、あいつが犯した大罪を挙げれば、こんな程度じゃ絶対に済まない。山崎が訴えられた裁判も、まだまだゴッソリ残っている。
 仏罰は本当に恐ろしい。仏法の因果ほど厳しいものはない。





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